メタバースでの表現が現実の扉を開く:VRChatダンスコミュニティで得たもの
現実世界の重力から解放された表現の場
私は長い間、現実世界での自己表現に苦手意識を持っていました。特に、人前で感情を表に出したり、身体を使って何かを表現したりすることには、強い抵抗があったのです。学生時代の発表や、社会人になってからのプレゼンテーションはもちろんのこと、友人との雑談の中でさえ、言葉を選ぶのに苦労し、当たり障りのない表現に終始することが常でした。内向的な性格に加え、過去の失敗経験などが重なり、自分自身を「つまらない人間だ」と思い込むようになっていた時期もありました。
そんな私がVRChatと出会ったのは、数年前のことです。最初は、単に新しいテクノロジーへの好奇心から、VRヘッドセットを購入したことがきっかけでした。広大な仮想空間を自由に歩き回れること、多様なアバターを通して全く異なる姿になれること、そして何よりも、言葉だけでなく、身体の動きやアバターの表情でコミュニケーションを取れることに、強い魅力を感じました。現実世界での自分の殻を破るきっかけになるかもしれない、漠然とそう感じていたことを覚えています。
アバターという仮面がもたらした解放
VRChatの世界に入り、様々なワールドを巡る中で、私の目を引いたのは、音楽に合わせて自由に身体を動かしている人々でした。彼らは、現実世界ではきっと恥ずかしくてできないような、大胆で情熱的な動きで、自分自身を表現していました。トラッキング技術の進化により、アバターが本人の動きを驚くほど正確にトレースしている様子は、私に新たな可能性を示唆しているように思えたのです。
最初は恐る恐る、人目のつかないワールドの片隅で、アバターに自分の身体を重ねるようにして動き始めました。現実世界では決して経験したことのない、アバターを通した身体表現の自由。それは、まるで重力から解放されたような、浮遊感にも似た感覚でした。誰かの視線を気にする必要はなく、失敗を恐れることもありません。ただひたすらに、流れてくる音楽に合わせて身体を動かす。その単純な行為が、抑圧されていた何かを解放してくれるような、カタルシスをもたらしてくれました。
ダンスコミュニティとの出会い、そして内面の深化
やがて私は、VRChat内で活動しているダンスコミュニティの存在を知りました。そこでは、様々なバックグラウンドを持つ人々が、ダンスという共通の情熱のもとに集まり、練習を重ね、発表会などを企画・実行していました。私は勇気を出し、そのコミュニティの扉を叩きました。
コミュニティでの活動は、私のVRChat体験を全く新しい段階へと引き上げました。単に自由に踊るだけでなく、他のメンバーと動きを合わせたり、一つの作品を作り上げたりする過程では、密なコミュニケーションと協調性が求められました。自分の動きを客観的に見つめ直し、改善するために、他のメンバーからフィードバックをもらうこともありました。そこには、現実世界でのチーム活動と同じような、あるいはそれ以上に、深い繋がりと学びがありました。
アバターを通したコミュニケーションだからこそ、かえって本音で語り合えることもありました。現実世界の肩書きや外見に左右されることなく、純粋にダンスへの情熱や、表現したい世界観について語り合う時間は、私にとってかけがえのないものでした。メンバーの中には、アバターのセットアップやワールド演出など、技術的な知識を持つ方も多く、表現の幅を広げるための助言や、新しいツール・技術についての情報交換も活発に行われました。例えば、より滑らかな動きを実現するためのフルトラッキングの調整や、感情をより豊かに表現するためのアバターの表情設定など、ベテランユーザーならではの技術的な知識は、私のパフォーマンスを向上させる上で非常に役立ちました。
仮想世界の成功体験が現実世界を変える
コミュニティでの活動を通じて、私は少しずつ自信をつけていきました。最初は小さな発表会での一員としての参加から始まり、やがては自分自身で振り付けを考え、ソロでパフォーマンスを披露する機会も得ました。仮想空間とはいえ、観客の前で自分の表現を披露し、温かい拍手やコメントをもらう経験は、現実世界で自己表現に失敗し続けた私にとって、非常に大きな意味を持つものでした。アバター越しの体験ではありましたが、それは紛れもない成功体験であり、自分にも何かを表現できるのだという、確かな手応えを与えてくれたのです。
この仮想世界での成功体験と、コミュニティで培った深い人間関係は、徐々に私の現実世界にも影響を及ぼし始めました。以前は人前で話すことすら躊躇していた私が、職場での会議で積極的に意見を述べたり、友人との会話で自分の感情を素直に表現したりすることができるようになったのです。VRChatで「自分自身を表現しても受け入れられる」という経験を重ねたことで、現実世界でも「自分を出しても大丈夫だ」という安心感を持てるようになったのかもしれません。
また、VRChatで培ったコミュニケーション能力や協調性も、現実世界での人間関係に良い影響を与えています。多様なバックグラウンドを持つ人々と、共通の目標に向かって協力する経験は、現実世界でのチームワークや対人スキルを向上させてくれました。
VRChatが教えてくれた、表現する勇気
VRChatでのパフォーマンス活動は、単なる趣味の枠を超え、私の内面と現実世界に深く根差した変化をもたらしてくれました。アバターという媒体を通すことで、現実世界での自己に対する固定観念や恐怖心を一時的に手放し、純粋に「表現したい」という内なる声に耳を傾けることができたのです。そして、そこで得た成功体験と人との繋がりが、現実世界で一歩踏み出す勇気を与えてくれました。
現在も私は、VRChatのダンスコミュニティでの活動を続けています。仮想空間でのパフォーマンスは、私にとって自己表現の基盤であり、心の拠り所となっています。そして、そこで培ったものは、現実世界での私の行動や人間関係を豊かにする大切な財産となっています。VRChatは、私に「表現することの喜び」と「繋がりを持つことの力強さ」を教えてくれた、もう一つの大切な世界です。