VRChatでのRPを通じた自己探求が、内面の抑圧をどう解き放ったか
現実世界と仮想世界の境界線で
私は長年、自分自身の感情や内面を抑え込む傾向がありました。社会的な規範や周囲の期待に応えようとするあまり、本来の自分とは異なるペルソナを演じることが常となり、内面に深い息苦しさを感じていたのです。自分の本当の気持ちや考えを表に出すことに強い抵抗があり、人との関わりにおいても、どこか一歩引いた場所から観察しているような状態が続いていました。
そんな私がVRChatの世界に足を踏み入れたのは、友人からの誘いがきっかけでした。初めてVRヘッドセットを装着し、アバターとして仮想空間にログインした時の感覚は今でも鮮明に覚えています。それはまるで、自分という存在が現実世界の制約から解放されたかのようでした。最初はただ賑やかなワールドを巡ったり、たまたま出会った人と簡単な会話を交わしたりするだけでした。
ロールプレイングとの出会い
VRChatでの滞在時間を重ねるうちに、私は「ロールプレイング(RP)」という文化が存在することを知りました。特定のテーマや設定に基づき、参加者がそれぞれキャラクターになりきって交流する活動です。最初は傍観するだけでしたが、その中で人々が普段の自分とは全く異なる姿で、自由に感情や思想を表現している様子に強く惹かれました。現実世界で感情を抑え込んできた私にとって、それは非常に新鮮で、ある種の衝撃でもありました。
恐る恐る、私も小さなRPコミュニティに参加することを決めました。選んだのは、現実世界の自分とはかけ離れた、非常に感情豊かで奔放な性格のキャラクターでした。デザインも、現実の私の外見とは全く異なるアバターを作成しました。最初のうちは、キャラクターとして振る舞うことにぎこちなさがありましたが、設定資料を読み込み、他の参加者のRPを見ていくうちに、徐々にその世界観に没入していきました。
特に印象的だったのは、ある緊迫したシーンでのことです。私の演じるキャラクターが強い怒りや悲しみを表現しなければならない場面がありました。現実世界では決して表に出さない、あるいは認めることすら避けてきた感情です。しかし、アバターを通して、私はその感情を「キャラクターの感情」として解放することができました。声を荒げ、涙を流し、内面の葛藤を言葉に乗せる。それは私にとって、今まで経験したことのない種類の「表現」でした。
アバターが解き放った内面の抑圧
このRP体験を通じて、私は自身の内面に抑圧していたものがどれほど多く存在していたかに気づきました。現実世界では「こうあるべきだ」という無意識の規範に縛られ、特定の感情や衝動を押し込めていたのです。しかし、RPでは「キャラクターならこうするだろう」という視点を持つことで、自分自身の内なる声に耳を傾け、それを外に出す許可を自分自身に与えることができたのです。
アバターは単なる外見ではなく、私の内面と向き合うための仮面であり、同時にツールとなりました。アバターを通してなら、現実の私が抱えているかもしれない、あるいは抱えていることを認めたくない感情や思考を、「キャラクターのもの」として安全に表現できます。この経験を繰り返すうちに、私は自分の中にある多様な感情や思考を否定するのではなく、受け入れることの重要性を学びました。
現実世界への波及効果
VRChatでのRPを通じた自己探求は、現実世界にも大きな影響をもたらしました。以前は人前で自分の意見を言うことや、感情を素直に表現することに強い抵抗がありましたが、VRChatでの経験を経て、少しずつその壁が低くなっていきました。自分の内面と向き合い、受け入れることができるようになったことで、現実世界でのコミュニケーションにおいても、よりオープンで正直な態度をとることができるようになったと感じています。
また、他者との関係においても変化がありました。VRChatで多様なバックグラウンドを持つ人々と、アバターを通して深く関わる中で、人の内面は外見や表面的な振る舞いだけでは測れないことを改めて学びました。この理解は、現実世界での人間関係においても、より他者の多様性を尊重し、共感的に接するための基礎となりました。
現在、そしてこれから
VRChatでのRP活動は、今でも私の人生にとって重要な一部分です。それは単なる遊びではなく、自己理解を深め、内面の抑圧を解放し、より豊かな人間性を育むための貴重な機会を与えてくれています。アバターを通して演じる「もう一人の自分」は、現実世界の私に多くの気づきと勇気を与えてくれました。
VRChatが提供するこのような深い体験は、表面的な交流やエンターテイメントに留まらない、個人の内面に働きかける力を持っています。私の体験が、読者の皆様にとって、VRChatが人生にもたらす可能性について考える一助となれば幸いです。